偉人の人民的品格を伝える質素な生家

民族最大のめでたい祝日である太陽節(金日成主席の誕生日)に際して、金日成主席が誕生して幼年時代を送った万景台の生家を数多くの勤労者が訪れている。

祖国が解放された時から数十年の歳月が流れ、山河は見違えるほど変わったが、万景台の生家は今もわらぶきの家に保存されている。

軒の低い質素なわらぶきの家には、自身のためのことならささいなことも絶対に許さなかった主席の人民的品格にまつわる物語が宿っている。

解放後のある年、万景台の生家の後ろに2階建ての洋館が建てられたことがあった。

その頃、たびたび万景台を訪れる主席のために特別に建てた家であった。

この事実を知った主席は、その家を壊すべきだと述べ、万景台の生家について語りながら、自身はその家が一番よい、解放を迎えて初めて老いた祖父母に会うために万景台の生家を訪れた時も祖父母と共にそこで寝て帰ったと述べた。

主席をあまりにも質素な生家で迎えるのがすまないので新しい家を建てたが、主席はその家を壊すようにし、その資材で人民の住宅を一棟でももっと建てたらよかったと述べた。

国は解放されたが、まだ人民の暮らし向きが困難なことを常に気遣う主席であったため、自身のためには新しい家はもちろん、生家を新しく整えることも眼中に置かなかった。

万景台の生家から少し離れた所には過去、あばら屋があった所に、近代的な住宅が大きな通りを成したすばらしい光景が見られ、家ごとで響き出る幸福の笑い声を聞くことができる。

日を追って繁栄する祖国の躍動する息吹とともに、人民の住宅は近代的に一新するが、万景台の生家は金日成主席の高邁(こうまい)な人民的品格を年々歳々伝えながら、こんにちも昔のたたずまいのまま残っている。